頭の中の断捨離

おはようございます。

引っ越してちょうど二週間になりました。

3月は時間があっという間に過ぎていきます。

昨日は空気が冷たく、冬の終わりに戻ったような天気でした、

今暮らしている山谷集落では、標高が高いため

雨が雪に変わりました。

朝はサトさんとコンビニに行き(週末はついていきます)ました。

朝のテレビをみていると、田舎の古民家暮らしをやっていました。

東京にいた頃、憧れて観ていた番組でした。

久しぶりに観ていて、「自分が夢見る暮らし」を再認識しました。

そして、今目の前にある景色が、テレビの中にある景色と

変わらないくらいきれいなんだなと思い直した。

あの頃と今と変わってしまうもの、変わらないものがある。

新しいことを経験していく中で、

忘却していくものと、結晶化していくものがある。

今一度、自分の結晶のかけらと向き合うときなのかな。。。

 

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

 読もうと思って ずっと読まずにここまで来た。

読んでみると、文章もわかりやすく、すらすらと読める。

思考の整理する方法について書かれている本。

整理術について、時代の変化を感じるところもいくらか見受けられた。

本質的な思考整理に関しては、よくまとまっていてわかりやすい。

いつもなんとなくやっていることを 文章で読んでいる感じ

 

❝個性❞は中立的な触媒として作用するべきであると語られている。

自分の場合、アイデアやデザインに関して意見するとき

我が強く出すぎてしまっているところがある。

そういった場合、いつも後で後悔したり、周りが見えなくなり自分の負担が増す。

そういうときこそ中立的な立場に立って、

気持ちを入れすぎず 一歩引いて全体を俯瞰できたときは

すごく気持ちも軽く、考えもまとまりやすい。

やる気が無いのではなく、気持ちを入れすぎないってのがミソなのかな

 

思考の整理というのは、低次の思考を、抽象のハシゴを登って、メタ化していくことにほかならない。 

 情報の抽象度(純度)を上げることで、より整理される。

単純に抽象化しろってことではなく、

石の風化、木の熟成みたく時間をかけて少しずつ変わる

いらない部分が抜け落ちて忘れられていくような

そういった思考に次元を上げていくことで、情報としての強度が高まる。

 

時間を強化して、忘れる。それが、個人の頭の中に古典を作り上げる方法である。そうして古典的になった興味、着想ならば、簡単に消えたりするはずがない。 

思考の整理とは、いかにうまく忘れるかである。

忘れることで大事なものが見えてくるのだろうか